小説・めぞん一刻 著・宮武宏尚 (1/2)

#1 <小説・めぞん一刻>について
#1/13 るーみっく☆ノベルス
★タイトル (RUMICSB2) 92/11/12 4:10 ( 20)
<小説・めぞん一刻>について
★内容

 最初に、「めぞん一刻」という素晴らしい作品を作ってくれた高橋留美子さ
んに、最大の感謝の意を表します。

 この作品は、登場人物の名前、舞台等は「めぞん一刻」と同様ですが、これ
以外は全くのオリジナルです。よって、原作の小説化とは違います。
 そして、原作では春香(五代夫婦の長女)が初めて一刻館にやってきたとこ
ろで終わっていますが、作品はその後の物語です。原作者が読者の想像に任せ
ている範囲を、自分なりに構成し文章にしました。

 感想、批評等は、MGC55792:宮武 宏尚 宛のMAILか、または
フォーラム#2「コミュニケーションボード」にお願いします。

                               平成元年文月 宮武宏尚(ID:MGC55792)
                             (C)H.MIYATAKE

                        (平成四年霜月 改定)

目次
小説・めぞん一刻【聖夜】 written by 宮武宏尚
小説・めぞん一刻【早春】 written by 宮武宏尚
小説・めぞん一刻【桜樹】その1 written by 宮武宏尚
小説・めぞん一刻【桜樹】その2 written by 宮武宏尚
小説・めぞん一刻【書簡】 written by 宮武宏尚
小説・めぞん一刻【戸惑】その1 written by 宮武宏尚
小説・めぞん一刻【戸惑】その2 written by 宮武宏尚
小説・めぞん一刻【戸惑】その3 written by 宮武宏尚
小説・めぞん一刻【戸惑】その4 written by 宮武宏尚
小説・めぞん一刻【戸惑】その5 written by 宮武宏尚
小説・めぞん一刻【戸惑】その6 written by 宮武宏尚
小説・めぞん一刻【戸惑】その7 written by 宮武宏尚


#2 小説・めぞん一刻【聖夜】 著・宮武宏尚
#2/13 るーみっく☆ノベルス
★タイトル (RUMICSB2) 92/11/12 4:15 (165)
小説・めぞん一刻【聖夜】 著・宮武宏尚
★内容

【 聖夜 】              超短編小説 ”めぞん一刻”

                         ID:MGC55792 宮武

 空を見上げると、一筋の飛行機雲が西から東へゆっくりと動いていた。時折その雲
の先端が、朝の光に当てられてかキラリと光っているようだ。視線を落とすと、建物
達の上には薄く雲がかかっているのか、青いはずの空がややミルク色に見える。
  今年の今日は、ホワイトクリスマスといった小意気なものではないようだ。まぁ、
東京でもホワイトクリスマスになる日は、上京してから片手でも余るぐらい。田舎だ
ったら毎年の事なのに。曇天でいつ雪が降るかと期待させておいて降らない、といっ
た肩すかしな天気より星空のクリスマスの方がよっぽど良いように思う。


 門に近づいてくると、相変わらずやんちゃな声達が聞こえてきた。
「あ、先生おはよー。」
「おはよーございまぁす。」
「おはよー、先生。」
元気な声が、異口同音。無邪気さにつられ、こちらも
「おはよう。」
 部屋に入ると、大きなもみの木が迎えてくれた。木のてっぺんには金色の大きな星
一つ。そして、銀や金のモールに白い綿の雪。サンタやプレゼントとかの小さな小道
具達が子供達の手によって、いっぱい飾り付けられているもみの木。まだ星達が光っ
てなかったので、コンセントを差し込んだ。背中で子供達のはしゃぐ声。
「わぁー、きれいだなぁー。」
「ちかちか光るぅー。」
その純粋な心をいくつになっても持っておいて欲しいと、つくづく思えるようになっ
た今日この頃である。
 遊戯室では、人形劇の準備が既に出来上がっていた。今回、僕の出番は無いがセッ
トを見ていて、ふと学生時代を思い出す。就職も決ってなく、がっくりとしていた時
、今、同僚の黒木さんからの誘いがあった。保育園で人形劇をするから手伝え、そし
てアパートの管理人さんを、上手だから連れて来いと。
 今でもはっきりとあの台詞憶えている。
「無職の甲斐性無しの貧乏人っっ!!」
しかし、今こうして保父の仕事につくなんて、あの頃夢にも思っていなかった。

 劇が始まる前、突然サンタクロースがやってきた。思わぬ出来事、僕は少し驚いた
。よく見ると、正体は園長先生。園長先生がこーゆー事をなさるなんて意外だなぁ。
けど、あのやや太った体型だから、やけに似合っていた。大きな白い袋から園児一人
一人に菓子包とジュースをあげるところなんか芸が細かい。さすがだなぁ、と思う。
 さて、人形劇が始まった。まず、黒木さんの口上。
「今日の出し物は、”3っつのお願い”ですよ。」
僕は吹き出した。事前に知らされて無かったから、余計に驚いた。同じものをしない
で欲しい、とちょっと思ったけど、園児達の後ろでじっと見ていた。
 少しは話を変えていたのかな、忘れた所もあったので、変えているように思うのか
も知れない。自分の右手が人形の動きに合わせていたのにふと気づき、苦笑した。

 楽しい一時が過ぎ、園児達は母親達の手に引かれ、それぞれの家に帰って行く。
「先生、さよーならー。」
「はい、さようなら。気を付けて帰るんだよー。」
全員を無事帰して、ほっと一息。さぁて、後片付けをしたら今日の仕事は終わりだ。


 坂道を上りながらふと上を向くと、やはり星空クリスマスである。東の空に青白く
シリウスが輝き、少し南に目を移すとオリオン座。星達が今夜はくっきりと見える。
へぇ〜、東京でもこんな日があるんだな、と少し嬉しい気分。視線を坂の上に落とす
と、スナックの看板が明々と光っている。近くまで来ると、相変わらずにぎやかな声
が聞こえてくる。でも、今日はやけに声が大きいな?と思ったら、クリスマスパーテ
ィーをやっていることを思い出した。今日は約束があるから捕まったらやばい、と思
い足早にその場を立ち去ろうとした矢先、背中から
「五代く〜ん、今帰りだろ。ほれ寄って行きなよ。」
という声。
「いや、僕、今夜先約があるから・・・」
と言っても後の祭り。強引に店に引っ張り込まれた。
 相も変わらずおなじみの面々。今夜は商店街の人達もいる。
「一杯だけだぞ!」
と、明言したのだが・・・


 やっとのことで、ちゃちゃ丸から抜け出し、腕時計を見るともう10時。
「あちゃー。」
なんて意志が弱いんだろう、と自己批判しながら星空の下、坂道を登る。アパートの
門を入ると、いきなり
「ばうっ!」
一体、犬はいつまで起きてんだろう?と思う。ちょっと重い扉を開け、玄関に入る。
「ただいまー。」
 靴を脱いで廊下に上がると、左からパタパタというスリッパの音。やや長い黒髪を
白いリボンで軽く束ね、白いセーター、バラの柄をしたスカート、そしていつものエ
プロンをした姿が見えると同時に、ややトーンの低い声で、
「お帰りなさい。」
ちょっとふてくされているようだ。
「遅刻っ!」
「いや、あのね、ちゃちゃ丸の前で朱美さんに捕まっちゃってね・・・」
言い訳をしているのを封じるかのように、
「やっぱり。そうじゃないかと思ってたわ。まぁ、いつものことかしら。」
 苦笑いをしながら、僕は彼女と部屋へと歩いて行った。
「春香は?」
「よく寝てますよ。」

 僕達が、毎年恒例のちゃちゃ丸のクリスマスパーティーに参加しなかった理由がこ
こにある。春香を連れて行くことなんか出来ないし、ましてや置いて行くなんて出来
るはずが無い。そこで、彼女が提案したのである。
「私達だけのクリスマスパーテイーをしましょうよ。」
僕はもちろん賛成である。それに、家族三人のクリスマスというのは、今年初めてだ
から。
 それなのに僕は遅れてしまった。

 彼女が先に部屋に入る、[管理人室]に。続いて僕が入った。荷物を置いて真っ先
に、春香の寝ているベビーベッドに近寄る。よく眠っている。赤ん坊の寝顔は天使の
ようだ、と誰かが言ってたが、まさにその通りだと思う。
「ただいま。」
と春香に小さく言った。
 振り返ると、こたつ布団に彼女手縫いの色とりどりのキルトを掛けた上のテーブル
には、小さいクリスマスツリーと小さいクリスマスケーキが。
「あれ、ツリーなんかいつの間に買ってたの?」
と、僕。
「うん、昨日よ。」
と、彼女。
「すぐ飾っておこうかと思ったけど、やっぱり、ね。」
にこりと微笑って
「今日の方が良いと思ったの。」
「ふ〜ん、そうだね。」
と、僕は納得した。
「まだあるのよ。」
僕がこたつに入ると、彼女は冷蔵庫を開け、ドア側から一本の濃い緑色をした、やや
細長く金色のラベルを貼った瓶を取り出した。冷蔵庫のドアを閉めながら、
「シャンパン、ちょっと奮発しちゃった。」
嬉しそうに話す彼女。トン、とやや重い音を立てて緑色をした瓶を置き、彼女は台所
の下の引出しを開け、しゃがみこんで2つのシャンパングラスを取り出した。こうい
う洒落たものがあるなんて、これまた知らなかった。
 軽く水で洗ってこたつの上に置き、彼女は台所を背に、僕とこたつをはさんで向き
合って座った。
「じゃあ、シャンパン開けるから、ケーキのロウソクに火をつけてよ。」
「うん。」
 僕は瓶の封を切り、音を立てて栓を抜いて良いかちょっと迷ったが、春香はよく眠
っているようなので、軽く瓶を振り、”ポン”と小気味よい音を立てて栓を抜いた。
 そうしている間、彼女は白くしなやかな指でマッチを一本摘み、”シュッ”と音を
立てマッチ箱と擦り合わせ、マッチ棒につけた火でケーキの小さなロウソク6本の一
つ一つに、そっと火を灯していた。ロウソクに生命を与えるかのように、丁寧に。
 火を灯し終わると、僕はグラスにシャンパンを注いだ。
「さ、電気消すわよ。」
と、彼女は立ち上がり、ドアの横のスイッチを切った。ロウソクの淡い光に反射し、
小さなクリスマスツリーの小さな金や銀のモールがキラキラと光った。
 エプロンを脱ぎ、彼女はこたつに戻ってグラスを手に取った。僕も残りの一つを取
る。
「響子。」
カチン、というグラスとグラスが軽く触れる音。
「メリークリスマス。」
「メリークリスマス。」

 少しシャンパンを口にして、
「そろそろ火を吹き消すぞ。」
ふっと暗くなる部屋。しばらくの沈黙の後、彼女がスイッチをいれ、”カチッ”とい
う音と共に、天井の蛍光灯に明りがついた。
 家族だけのクリスマス・・・


 時計を見ると、1時半を過ぎていた。彼女は隣の布団で眠っている。ちょっと飲み
過ぎたようだ。あれから、四谷さんと一ノ瀬のおばさんが乱入してきて、飲むわ騒ぐ
わ、おかげで春香は目を覚まして泣き出すわで一騒動だった。家族だけのクリスマス
って束の間の事だったなぁ。まぁ、しょうがないか、いつもの事だもんな、と自分を
慰める。


 なかなか寝つけない。隣の彼女の静かな寝息を聞きながら、布団の中でふと色々思
い出してしまった。上京した時、一刻館にきた時、初めて響子に会った時、大学受験
、就職活動、保父試験、結婚式、そして春香の誕生、今、これからの事なんか考えた
。
 おっと、これからはどうにかなるだろうし、昔の思い出に浸るなんてまだ若すぎる
。早く寝なくちゃ。朝ちゃんと起きなきゃ行けないし、今年も後、一週間。まだ忙し
いぞ。
「響子、春香、おやすみ・・・」
とささやき、布団に潜り込んだ。


                                 − 了 −
   

#3 小説・めぞん一刻【早春】 著・宮武宏尚
#3/13 るーみっく☆ノベルス
★タイトル (RUMICSB2) 92/11/12 4:21 (270)
小説・めぞん一刻【早春】 著・宮武宏尚
★内容


【 早春 】                   短編小説「めぞん一刻」

                                             宮武宏尚(PC-VAN ID:MGC55792)


 東京都庁のとある掲示板の前で、僕は自分の受験番号を探していた。大きな白い
紙の上には、「昭和六十一年度保母資格試験合格者」と大きく書かれていて、その
下に羅列しているたくさんの番号群の中から、自分の受験番号を左上から右下まで
くまなく探した。一通り見終わったが、僕の番号に該当する3桁の数字は見あたら
なかった。
  「おかしいな?」
その時、心の中に信じたくない予感が浮かんだ。もう一度探す。今度は右下から左
上へゆっくりと、1つ1つの数字を確かめながらじっくりと見ていった。ない。ま
さか、と思いもう一度左上から右下へ、と不規則に並んだ数列を見つめていった。
僕は体が宇宙空間に浮いているような感じがしていた。すると、どこからともなく
声が聴こえてきた。
 「お落ちになったんですね、試験・・・」
女性の声。振り返ると彼女がいた。
 「響子さん・・・」
いつものエプロンを着た普段着姿の彼女が、僕に言う。重たくかつ冷たい口調で、
 「お別れですわ、五代さん。」
僕はたじろぎながら、その声をはっきりと受けとめた。確かに彼女は「お別れです
わ」と言った。僕の頭に、大きな鐘の音が鳴り響いた。
 「そんな、だって僕らはもう・・・」
というと、彼女は、
 「他人じゃない、とでもおっしゃるの?」
僕達は、土星や木星の間にいた。どうしてこんなところに?と思っているところへ
彼女の大きく、迫力のある声が聞こえた。
 「甘えないでください。あれは一度きりの・・・」
一拍おいて、さらに強く、
 「あやまちですっっっ!」
と僕に言い放った。僕の頭の中は鐘の音だらけだった。半鐘から東大寺の鐘や教会
の鐘なんかが、一斉に鳴っている。
 「え゛〜〜〜っ!!」
と答えるしかなかった。彼女がしゃべり終えた瞬間、どこからともなく彼女は一刻
館の玄関先を掃除するのにいつも使っている竹ぼうきを取り出すと、ひょいとまた
がり、
 「さ・よ・お・な・ら!」
と言い残してその場を立ち去って行った。僕はただ、
「待ってください!!来年こそはパスしますから、捨てないでっ!!」
と言うしか方法はなかった。そういいながら、僕の体が搖れている。右へ左へと、
大きく揺さぶられている。何かわけのわからない、とてつもなく大きな力で。しか
し、遠くには彼女が飛んで行っている。どうすりゃいいんだ・・・?!と思ってい
ると、ふともう一つの目が開いた。耳元で、声がしている。
 「あなた、どうしたの。あなた!」
僕は、「へ?」と思い、辺りを見回した。左に響子が、右に春香が心配そうな顔を
している。上は、ふし穴だらけの古い木の天井。僕は体を起こした。夢だった。響
子はため息をつき、口を開いた。
 「ずいぶんうなされてたわよ。何、悪い夢見たんです?」
まさか、君が飛んで行くのを追っかけてた、なんて言えるはずがない。頭を掻きな
がら苦笑いし、
 「いや〜、たいしたことないよ。」
 「それだったらいいけど・・・」
響子は目線を僕から春香に移し、
 「ほら、この子も心配してたのよ。」
と、僕の枕の上にいた春香を抱き寄せ、膝の上に座らせた。僕は体の向きを変え、
あぐらをかき、響子の膝の上にチョコンと座っていた春香を両手で抱きかかえ、自
分の足の上に座らせた。
 「ごめんね、心配かけて。パパ、もう大丈夫だよぉ。」
と話すと、春香はニコッと笑い、
 「だあだ。」
としゃべった。
 「さ、朝ご飯にしましょ。ほっとくと、お昼ご飯になっちゃうわよぉ。」
響子は笑ってみせた。
  「そうだね。起きよう、起きよう。」
僕は膝の上の春香をおろして、布団の上に立ち、大きく背伸びをした。窓の外は冷
たそうな風が吹いているが、とても良い天気のようだ。
 「そうだ、言うことを忘れてた。」
 「え、何?」
響子が手の動きを止めて僕を見た。
僕はちょっと笑って、
 「おはよう。」
と言った。
響子は最初、キョトンとした表情を見せたが、ニコッとして
 「おはようございます。」
と答えた。
そして、僕は腰を屈めて、足元に這ってきている薄いピンクのベビーウェアを着て
いる春香にも、
 「おはよう。」
と言った。
 「ばあ。」
と春香が答えた。
 しかし、どうしてあんな夢を見たんだろうなぁ?と考えてみた。昨日の事を振り
返ると、夜のニュースで関西の私立大学ではもう合格発表が始まった、というニュ
ースを見て、響子と色々話していたんだ。そうか、それが心に引っかかってて、ま
たあの夢を見る引金になったんだ、と自分で納得した。
 「何してるの。さっと着替えちゃってくださいよ。」
と、響子。
 「はいはい。」
と返事をして、パジャマを脱いだ。


 太陽がやや西に傾きかけた頃、僕は庭先に春香を連れ出した。裏庭は、一刻館が
北風を防いでくれるので、今日みたいな良い天気の日は、冬でもポカポカして気持
ち良い。もちろん、春香には十分に服を着せている。
 物干し竿に干されている洗濯物の数々。少しの風がそれらを揺らすと、地面の上
の洗濯物の影がゆらゆらと搖れる。地面にちょこんと座っている春香は、不思議そ
うに、小さい紅葉のような手でその影を追っている。その光景を、僕は縁側に座っ
てじっと見ていた。
 しばらくすると、ドアの開く音がした。振り向くと、一の瀬のおばさんが立って
いた。
 「あれ〜〜ぇ、管理人さんは?」
と言いながら僕の方へやってきて、隣に腰をおろした。
 「ええ、今、買物に行ってるんですよ。」
 「ふ〜〜ん、そうかい。」
おばさんはエプロンのポケットに手をのばし、カップ酒を取り出した。
 「何か用?」
と聞くと、
 「何もないけどね。いやーー、いー天気だねぇ。」
おばさんの太い指はカップ酒の蓋のリングをつまみ、シパッと音をさせて蓋を開け
た。おばさんは一口カップ酒を飲んで、物干し竿の下で洗濯物の影を追っている春
香をじーっと見ながら、僕に言った。
 「そういや、もうすぐ春香ちゃんの初節句なんだ。」
 「ええ、そうなんですよ。」
 「何、雛人形買ってあげるの?」
僕は頬杖をついた。
 「それなんですよ。買ってやりたいのはやまやまなんですけどねぇ。」
苦笑いをして、
 「いま、先立つものが・・・ね。人形までまわりそうにないんですよ。お内裏様
  とお雛様のペアだけだったら、なんとかなりそうなんだけど・・・」
 「ふ〜ん、やっぱりねぇ。」
おばさんはカップ酒に口をつけっぱなしで返事をした。
 「もし買うとしたら、どんなのが良いと思います?」
僕は尋ねてみた。おばさんはカップ酒をぐっと飲み干して、
 「そうだねぇ。あたしだったら・・・」
とぺらぺらしゃべり始めた。僕はフンフンと相づちを打つぐらいしか出来なかった。
おばさん、しゃべるの早いから。

 そうしていると、微かに玄関のドアが開く音がした。響子が帰ってきたのかな?と
思い、耳を澄ましていると
 「デパートですがぁ。お届け物でぇ〜す。」
という男の声がした。僕は大きい声で、
 「はーい、今行きます。」
と返事し、立ち上がった。
 「おばさん、春香見ててね。」
といって、黒電話の下においてある印鑑を取ってドアを開け、玄関へ出て行った。
 「どーも、ご苦労様です。」
 「五代裕作さん宛です。こちらにハンコお願いします。」
と配達員。
 「はい。」
と言い、紙キレの点線枠の中に印鑑を押した。押すや否や、配達員はパッと紙キ
レを引き取り、
 「どーもありがとうございました。」
と玄関から出て行き、門の外に止めてあったトラックにすばやく乗り、駅の方へと
行った。トラックが過ぎ去って行く音を耳にしながら、僕は目の前にある大きな包
みを見て、「一体なんだろう?」と考えた。大きいと言っても、一人でも持てる大
きさではある。それに、包みの上には『割れ物注意』とあった。送り主を見てみる
と、「千草・・」と書いてあった。お義父さん、つまり、響子のお父さんからであ
る。
 「と、突然、何だ・・・?」
と思っていると、背中に何か嫌な気配がしたので振り返ってみると、
 「食い物ですか?」
スーツを着込んだ四谷さんが、真後ろにいた!
 「わーーーっ!突然なんですかっあなたはっっ!!」
驚いていると、四谷さんはスススッと荷物に近付き、内ポケットから白いハサミを
取り出した。
 「何しようとしてるんです?」
 「わかりませんか?開けてみるんですよ。」
 「いーですよ。部屋で僕が開けますから。」
 「爆弾かも知れませんよぉ。」
 「ま、まさか・・・」
一瞬顔を強ばらせた僕を見て、突然、
 「どっっかあ〜〜〜ぁんっっ!!」
と四谷さんが叫んだ。
 「いーーかげんにしてくださいっっ!」

 僕は荷物を持っっ。少し重たいがなんとか部屋まで持ってきて、こたつの横に置
いた。おばさんが、
 「何だい?それ。」
と言うと、
 「爆弾ではないようですよ。」
と四谷さんが答えた。ちゃっかり付いてきていた。
 「バカな事言わないでください。ま、開けてみましょう。」
包みを開けていくと、ガラスのケースが現われた。そのガラスのケースの中には、
小さい三段飾りの雛人形があった。三人官女、五人囃子までいる。ケースの左の隅
に、「祝 初節句」と書いてあるのしが張ってあった。
 「ほほ〜〜ぅ、雛人形ですか・・・残念。」
 「何が残念なんですか。何が。」
 「五代くん、よかったじゃない。噂をすればなんとやら、だね。」
とおばさんが言うと、
 「どーゆーことですか?」
四谷さんが聞いた。
 「いや〜、さっきね。五代くんが安月給のくせに、無理して春香ちゃんに雛人形
  を買ってやりたいっていう話をしてたところだったんだよ。」
 「安月給は余計です。」
 「いーーじゃない。本当のことなんだから。ほーら、春香ちゃん。わかるかい?
  それが雛人形っていうんだよ。」
とおばさんは足元を這っていた春香を抱き上げて雛人形を指さしながら、春香に言
った。春香はニコニコして
 「だあ。」
と言った。おばさんは、
 「そうかい、わかるかい。ハハハハハ」
と大きな声で笑いだした。僕もつられて笑った。四谷さんも低い声で笑った。相変
わらず笑い方も不気味な人だ。

 夕食の後片付けを終えた後、響子は電話をかけている。電話の相手はお義母さん
だ。電話までの距離が近いから、電話の相手の声もよく聞き取れる。
 「本当にありがとう、お母さん。」
 「いいええ。お父さんが選んだのよ、あれ。春香にはあれが良いんだ。いや、部
  屋に入りきらないかも知れないから小さいこれがいいかな、とか言ってねぇ。
  私の方が疲れちゃって。デパートの人に椅子借りて、座って待ってた程なのよ。」
 「あ、裕作さんに代わるわね。」
と言って、僕を手招きした。僕は膝の上に乗せていた春香を隣に座らせてから電話
口に出た。
 「もしもし、電話代わりました。高価なものをありがとうございます。」
 「いいええ。大した物じゃありませんのよ、ホホホホ・・・」
もう後は、何を言ってるのかわからない。
 「はあ。はあ。」
と答えるだけだった。お義母さんの話の間を見計らって、
 「あぁ、春香にもお礼を言わせましょう。」
というと、
 「まぁ〜、お願い。声を聞かせて。」
僕は送話口を手で押さえ、振り向いて
 「春香、こっちにいらっしゃい。」
と言った。あ、と思った。這って来るんじゃ時間がちとかかるなぁ。口が滑ったな
と思っていると、春香はこたつの角を左手で持ち、ゆっくりと立った。すると手を
離し、ふらふらと2,3歩歩いて僕のところにやってきた。そして倒れそうになり
、「あ。」と思った瞬間、響子がさっと両手で春香の体を支えた。ほんの数秒の出
来事だった。僕は響子と顔を見合わせた。受話器から、
 「もしもし。もしもし。」
と言う声にハッとして、思わず僕は、
 「やったぁ〜〜〜〜っっ!!」
と叫んだ。僕は受話器を持ち直して、
 「やった、やりましたよ。お義母さんっ。」
僕は興奮していた。
 「どうしたのよ、裕作さん。何をやったっていうの?」
 「立ったんですよ。春香が、春香が立って歩いたんですよ。」
ほんの少し間が空いて、
 「本当なの?」
とお義母さんの明るい声。
 「本当ですとも。たった今ですよ。」
 「んまぁ〜〜。おめでとう!あ、そうそう、春香ちゃんを出して。」
 「あ、はいはい。」
といって、春香に受話器を持たせた。響子の膝の上に、何事もなかったかのように
座っている春香は両手で受話器の下の方を持った。上の方は響子がちゃんと持って
いる。春香は送話口に向かって、
 「ばあばぁ。」
と言った。僕の頭の中は嬉しさで一杯になり、春香とお義母さんが何を話している
のかは全く判らなかった。ただ、一生懸命何かをしゃべっている春香を、響子がじ
っと優しく見つめているのだけは、はっきりと判った。


 春香はこたつの横の小さな布団で寝ている。いつもの宴会を終わらした僕と響子
は、こたつを挟み向かい合って座っている。僕はカーテンを背にしているから、す
きま風が吹いてくるとカーテンが微かに動くのを感じる。お茶をすすって、
 「ちょっと遅いぐらいかな?」
 「何がです?」
 「いや、立つのがだよ。」
 「こんなものでしょ。まぁ、8カ月で立って歩き出す赤ちゃんもいるそうだけど
  。この子は10カ月だから、いいじゃないの。」
 「そうだね。いやー、今日は色々あって気疲れしちゃったな。」
 「おかげで、春香も無事、初節句が迎えられそうだし。」
と、響子は鏡台の前に置いた雛人形を見た。
 「ま、この人形、片付けるのも早くしないとね。」
 「あら、どうして?」
 「3月3日すぎてまだ飾っておいたら、この子将来嫁き遅れちゃうかも知れない
  じゃないか。」
 「まだ早すぎますよ、そんな話。」
湯呑のお茶を飲み干して響子は、
 「さぁ、寝ましょうか。」
と言った。

 日曜日の夜も更けていった。

                               平成元年如月

                                − 了 −

原作・高橋留美子「めぞん一刻」
著 ・宮武宏尚(PC-VAN ID:MGC55792)

   

#4 小説・めぞん一刻【桜樹】その1 著・宮武宏尚
#4/13 るーみっく☆ノベルス
★タイトル (RUMICSB2) 92/11/12 4:27 (348)
小説・めぞん一刻【桜樹】その1 著・宮武宏尚
★内容

【桜樹】
                      PC-VAN ID:MGC55792 宮武宏尚


 弥生3月も半ばを過ぎ、もう下旬に入ってしまった。毎年この季節になると
思うことだが、1月は行く、2月は逃げる、3月は去ると言われ、月日が立つ
のは本当に早いものだ。おそらく、早く過ぎて行くというのは、実際にも年度
末になっていくという忙しさも、含まれているのだろう。それよりか、案外本
格的な桜の季節・春が近づくことによって気温も暖かくなり、活動がしやすく
なる、というのが、もっとも強い要因かも知れない。自分は雪国越後の生まれ
なので寒さには強いと思ってはいるが、寒いより暖かい方が断然良く、動き易
いのにこしたことはない。そんなこんなもあって、春は四季の中でいちばん好
きな季節である。ま、春が好きだという原因はそれだけでないのは確かだ。僕
の家族はやけに春の時期に行事が多いし、ちょっと振り返ってみると事件もた
くさんある。こうして季節を感じることによって自分を見つめ直すことが出来
るので、四季のある日本に生まれてよかったな、と心底から思える。
 う〜ん、弥生と言えば、こんな小話を思い出す。春には直接関係の無いこと
だけど・・・
 『今から約2300年前の縄文時代人の母と子の会話
  子「うわーーっ、すごい料理!何かあったの?」
  母「明日から弥生時代なんだよ」        』
以前、たまたま耳にしたラジオの深夜番組でこれを聞いたのだが、僕は妙に気
に入ってしまい、ことあるごとによく友人達に言ってはみるのだが、
 「それがどうした?」
とつれない返事ばかり。笑ってくれたのは響子一人だけだったのを覚えている。
つまらない、といえばつまらないのだがこの小話には非常に深い意味が込めら
れている。それが解ってくれたのは彼女だけだった。


 「どうしたの?ぼーっとして。支度できたんですか?」
その声ではっと我に帰ると、僕は洋服ダンスの扉側にある鏡に向かってネクタ
イを首に掛けたまま、じっとしていたようだ。
 「あ、あぁ。まだもう少し。」
僕は改めて鏡の中の自分を見た。どうも、妄想癖は治っていないらしい。ちらっ、
と横目で響子を見ると忙しそうに、でも鼻歌を歌いながら鏡台の前に座って身
支度を整えていた。今日は機嫌が良さそうだ。春香は、彼女に着せられたよそ
行きのベビーウェアを着て、とことこと頼りない足どりでもって、母親の回り
をうろうろしている。時折ピタッと止まっては、彼女が化粧をしているのを見
つめている、真剣な眼差しで。春香にとってみれば、自分の母親が身支度を整
えているのを見るのは初めてのはずであろうから、不思議に思えるのであろう。
 ネクタイを結び終えて、洋服ダンスからスーツの上着を取り出して、袖を通
し扉を閉めた。その扉を閉める音を聞いてか、彼女は鏡台の椅子から腰を上げ、
 「春香ちゃん、ちょっとごめんね。」
春香の横を通って、僕の前まで歩いてきた。
 「ちゃんと結べているか、検査・・・」
 「い、いいよ。」
 「ほら、やっぱり曲がってる。それに前のが長すぎるじゃない。」
 「え・・・」
 「まったくもぉ。いつになったらちゃんと結べるようになるのかしら。」
笑いながら彼女は白い手をのばし、せっかく結んだネクタイを解き、結び直し
てくれた。僕の喉元から手を離し、
 「はい、できた。」
 「ありがとう。」
 「いいええ。毎度の事ですよ。さ、出かけましょうか。」
彼女は振り返り、テーブルの上のハンドバックを手に取った。
 「春香ちゃん、行きますよ。」
 「あ゛ぁ。」
とことこと僕らの所までゆっくりと歩いてきてから、響子が抱き上げた。
 「あぁ、僕が抱いて行くよ。今日は、長く歩かなきゃいけないから。」
 「でも・・・」
 「いいから。」
 「そう。じゃあ、お願いね。」
彼女の手から春香を受け、僕は春香の両脇を両手で持ち腕を上に伸ばした。
 「さあ、今日はちょっと遠出をするぞ。いいかぁ。」
春香は満面の笑顔だった。


 スリッパを履き、ドアを開けて廊下に出ると、彼女が続いて部屋から出、ド
アを閉めた。パタパタと玄関まで歩いて行くと、1号室から一の瀬のおばさん
が眠たそうな顔をして出てきた。
 「うん、お出かけかい?」
 「はい。」
響子が答えた。
 「そうかい、気をつけて行ってきな。」
 「どうも。」
 すると階段から足音が聞こえてきた。視線を階段の方に向けると、スーツを
着、アタッシュケースを持ち、帽子を深くかぶった四谷さんが降りてきた。四
谷さんは玄関の所まで来て、
 「おや、お出かけですか。」
靴を履きながら僕に聞いた。
 「えぇ、ちょっと・・・」
四谷さんは僕の言葉を封じるかのように顔をぐっと近付けてきて、僕の耳元で
コソッと言った。
 「お金貸してくれませんかぁ?」
突然言うので僕は声を大きくして
 「な、なんで!」
 「今月は苦しいんですよ。今日の食費分だけでいいですから・・・」
 「駄目ですっ。」
 「どうしてぇ。」
 「四谷さんに貸すと、いつ返してくれるかわかったもんじゃないからですっ。」
 「そうですか、五代君は私の人格を疑っている・・・」
 「どうだか。」
 「なんだい、また四谷さんは五代君にたかってんのかい。」
また、耳元に顔を近付けてきて聶いた。
 「あのですね、五代君・・・」
 「なんですか。」
 「夜中に何かあったんですか?」
 「へ?」
 「いや〜、寝息にしては呼吸のテンポが早かったもので・・・」
まさか、と思った。
 「夜中に体操するほど、五代君は変な人じゃないとは思うんですがぁ。」
顔が赤くなった。
 「ちょ・・・ちょっと四谷さん、あんたまさか・・・」
 「一体何をしていたのだろうか。私、悩んじゃいます。」
ちらっと彼女の顔を見ると、真っ赤になってうつむいていた。一の瀬のおばさ
んはキョトンとしている。
 「千円でいいですから。」
 「くっ・・・」
 「やや、もう少し貸してくれるのでしょうか・・・?」
 「わ・・・わかりましたよ!」
僕は、ズボンの後ろポケットから財布を取り出して1枚夏目漱石を抜き、四谷
さんの目の前に差し出した。
 「いんや〜、さすが五代君。住人思いですなぁ。」
 「ふんっ!」
 「それじゃあ、行って参ります。」
四谷さんは玄関の扉を開け、外に出ようとした瞬間立ち止まり、こちらに振り
向いた。そして、小声で、
 「あ・り・が・と・ね。」
言葉を残して、何処へともなく出かけて行った。
 「くっそ〜〜〜・・・いつもいつも・・・ハァ。」
出るのはため息だけだった。
 「あの人も相変わらずだねぇ。」
おばさんもため息まじりで言った。彼女はずっと黙ったままだが、僕の腕の中
にいる春香はきょろきょろしていた。
 「でもね、あんたたち。賢太郎に気づかれない程度にしときなよ。あの子、
  最近色気づいてきてるからねぇ。」
ビクッとした。
 「そ、それじゃ・・・」
 「昨晩の事は知らなかったけどね。ま、若い内ゃしょうがないわな。」
僕等は穴があったら入りたい心境だった。足早に、真っ赤な顔をした彼女が、
 「い、行ってきます・・・」
と小声で言いながら外に出た。僕も後を追いかけるように、
 「そ、それじゃ、行ってきます。」
 「はい、行っといで。」
玄関の扉を押し開け、外に出た。

 「ばうっ。」
惣一郎が吠えるのをよそに、もう門の外まで行っている彼女を追った。彼女は
もう下の曲がり角まで行っており、立ち止まっていた。春香を抱いているので、
全力で走れないが、やっとのことで追いついた。
僕は息を切らしながら、
 「ご、ごめん。」
 「いえ・・・」
しばらくの沈黙。何を言って良いのやら・・・
 「ったく、しょうがない人達ですねぇ。」
 「はぁ・・・」
僕らは並んで坂を下り始めた。

 それから時計坂駅まで僕らは会話らしい会話ができなかったが、ただ春香が
ずっとニコニコしていたのが救いであった。

 僕らは時計坂駅から私鉄に乗り、新宿でJRに乗り換え、中央線のとある駅で
下車した。そこからしばらく歩くことになるのだが、バスやタクシー等を使うに
は中途半端な距離なので、いつも歩くことにしている。まぁ、節約という意味が
第一なのだが。
 時計坂駅から一刻館まで歩く距離とを比較してみると、いま歩いている道程の
方が1.5倍、いや2倍近くあるだろうか。しかし、時計坂は坂道なので、とど
のつまりは疲れる度合は同じぐらいと思っている。仕事量はどちらも同じ、とい
うことであろう。

 しばらくの間、春香を腕に抱いて響子と並んで歩いていると、時計坂の商店街
とよく似た雰囲気の通りに差し掛かった。そしてその通りの端の方にある、比較
的小ぢんまりとした花屋の前に来た。
 「じゃあ、お花買ってくるわね。」
 彼女がやっと口を開いてくれた。これで出かけ間際に四谷さんにからかわれて
から続いていた、ちょっと重たくどうしたら良いのか分からない状態から抜け出
せることが出来るわけだ。
 僕はホッとした。

 彼女が花屋の中へ入る後について、僕も入って行く。店の外にはたくさんの鉢
植えを置いている。店の引戸を引くと頭の上の方で軽く可愛らしい音で”ちりり
りん”と鳴った。引戸の上に鈴をつけ、呼び鈴としていた。
 店の中は明るく、店の外とそんなに変わらないぐらいだ。右側には白いプラス
チック製の大きなバケツを数個置いてあり、その中にたくさんの切花が、また、
左側には球根類や洋蘭の類、観葉植物等を所狭しと置かれていたり、天井から紐
でぶら下げられている。
 店の中は花の香りでいっぱいだった。春香も分かるのだろうか、満足げに辺り
を見回し、花に触りたがろうとしている。響子はといえば、人の良さそうな店の
おばさんと話している。
 「はいはい、いつものね。もうそろそろ来る頃だと思ってたのよ。」
 彼女とは以前からの顔見知りだとか。僕も最近、といっても一昨年の春頃から
この店のおばさんに顔を覚えられている。
 「あんたたち、いつもここへ来るときは一緒ね。良いことだわぁ。」
  切り花を選び集めながらおばさんは言った。
 「どうも。」
 僕は間の抜けたような声で返事をしてしまった。やはり、照れくさいものである。
  「あら。もしかして、この子が・・・?」
 「はい、そうなんです。」
 響子が嬉しそうな声で応えた。
 「まぁ、可愛いわねぇー。お名前は?」
 「春香っていいます。」
 「今日みたいな感じの日にぴったりの名前じゃないの。
 「ははは。」
 おばさんは花束を響子に渡し、そしてじっと春香の顔を見て言った。
 「やっぱり、奥さん似かなぁ・・・」
  「そうかしら。」
  「ご主人さんに似ても、この子心配いらないわよ。良かったわねー、春香ちゃん。」
  「いやぁ、ははははは。」
 響子はハンドバックから財布を取り出し、そして花代をおばさんに手渡した。
 「また寄りなさいね。」
  「はい、ありがとうございます。」
 「それじゃあ・・・」
 「毎度どうも。春香ちゃん、ばいばい。」
 おばさんは春香に対して、小さく手をふった。
  春香は人見知りをすることもなく、笑って応えた。


 花屋を出てから少しだけ坂を登るとお寺の門の前に来、僕達はその大きな門を
くぐった。ここのお寺は歴史が相当古いようで、敷地も広く、また、檀家も多い
そうだ。
 新芽が出ている樹木達の間に流れている、本堂へと続く石畳を歩く。その途中
で左に折れ少し歩くと、今度は桜並木となる。
 もう桜の花がだいぶん咲いており、南風にあおられて少しだけれども時折、花
びらが蝶のようにゆっくりと優雅に舞っている。その中を響子が先に歩いている。
 桜の薄い桃色をした花びらの1つが、また2つ3つが風に吹かれて、彼女の美
しく流れるような長い黒髪の上に、羽を休めるかのように降りて来る。
 きれいだ。絵になる。
 「どうしたの?」
 響子が僕の顔を見た。僕は見とれていたようだ。
 「い、いや。なんでもない。」
 「おかしな人。」

 そうこうしていると、並木を抜け広い墓地に出た。
 墓地に入る前に水場で桶を借りて水を張った。彼女が持とうとしたので、僕は
先に手を出し、桶を持った。
 「僕が持つよ。」
 「え、でも春香を抱いているのに・・・重いでしょ。」
 「いいって。」
 「私が持つから。」
 「そんなに重くないから。」
 「そう・・・」
 彼女は花束を左手から右手に持ち換えた。
 「じゃ、行こう。」
 再び歩き始めた。

 墓地の中を歩き端の方まで来ると、ちょっとした丘になっていて、下の街々が
見渡せる。そんな景色の良いところにこのお墓がたたずんでいる。僕達はその前
で立ち止まった。
 ”音無家累代之墓”そう刻まれている。
  墓前には消えたロウソク、半分まで燃えた一束の線香、菊の花を中心として春
の花達が。供えられている線香はまだ火が着いていて、静寂な香りと共に白い煙
をたなびかせている。
 「あら、もうお義父さま達、いらっしゃったみたいね。」
 「いつもながら早いもんだ。といっても、僕らは昼過ぎに出てきたんだから、
 当然といやぁ、当然か。」
 「そうよね。」
 彼女は微笑みをこぼした。

 あたりを見回すとお墓参りの人が多く、しん、としているはずの墓地もちょっ
とした賑わいになっている。
 僕は抱いていた春香を下ろした。
 「じっとしてるんだよ。」
 春香は不思議そうな瞳できょろきょろと辺りを見回した。初めて墓地という所
にきたので、いつもと雰囲気が大きく違うことを感じたのだろう。いつもとこと
こと歩きまわるのに、今日ばかりは僕らのそばからは離れようとしない。本能的
なものだろうか。好奇心が強くなる頃なので、むやみやたらといろんな物に触り
たがるものだが、じっとしている。ま、目に見える範囲にいてくれることはあり
がたい事だ。
 僕は桶に入れていた柄杓の柄を持ち、水を汲んで墓の頭からかけた。響子は持
ってきた花束を包んだ包装紙をとき、菊の花を既に花がいけられている墓の花器
の隙間に挿していった。
 「あら、半分も余っちゃうわ。」
 「うん?」
 「どうしよう、これ・・・」
 「また包装紙に包んで墓前に置いといたらいいよ。」
  「そうよね・・・うん・・・」
 ちょっと考え込んだ。
 「そうしとくわ。」
  彼女は余った花を再び包装紙で包み、墓前に供えた。御影石の色に対し、鮮や
かだけれども落ちついた菊の黄色が映えてよい。
 そして、ハンドバックから小さく細長く黒っぽい箱を取り出し、蓋を開けた。
中には小さいロウソク二本、線香一束とマッチ箱一つを入れてある。
 それぞれを取り出して、マッチを擦り火を着け、ろうそくの芯に火を移した。
先にあったロウソクの隣にロウを落とし、それを土台にさせ、ロウソクを立てた。
同じ動作を繰り返し、今度は反対側にロウソクを立てる。淡い炎が微かな風に吹
かれて搖れている。
 次に線香を持ち、ロウソクの火で、左手でロウソクの周りを覆い風が吹き込ま
ないようにして線香に火を着けた。
 白く細い煙がたなびく。
  火を着けた線香を、ロウソクとの間に静かに置いた。

 「じゃ、あなたからどうぞ・・・」
 彼女は立ち上がりながら言い、僕を墓前に導いた。
 僕は腰を下ろし、手を合わせて目を閉じた。
 以前は墓前に来て言いたいことがたくさんあった。が、今となってはそのよう
な気持ちは更々無くなり、素直な気持ちで手を合わすことが出来るようになった。
 僕も成長したのだろうか。
 響子という良き伴侶が得られたのも、元を正せばこの墓に眠る惣一郎さんに寄
る事がほとんどである。この人が存在しなかったならば、おそらく彼女との出会
いはなかっただろう。
 『出会いはいつでも 偶然の風の中』
そんな言葉が胸に染みる。

 目を開け、立ち上がった。
 「はい、交代。」
 響子が墓前に歩み寄って腰を下ろし、手を合わせた。
 眼を閉じ、じっとしていること数分。眼を開け、僕の足元で小石を拾っていた
春香を抱き寄せて微笑みながら言った。
 「もうじき、一歳になります。可愛いでしょ・・・」
 彼女の眼に、微かだが光るものがあったのを見た。僕も響子の横に、再び腰を
下ろした。

 思い出というものは、枯れない井戸みたいだ。
 そんな思い出達に囲まれながら、僕らは心地よい雰囲気に包まれていた。
 響子がぽつりと言った。
 「ここにくると、いつも言うけど・・・あたし・・・あなたに会えて本当に良
  かった。」
 彼女は微笑んだ。
 「あなたがいて、春香がいて・・・私・・・」

 風が吹き、桜の花びらや菊の花びら達が辺りを舞っている。
 彼女の瞳から、微笑んだ頬につたわる一筋の涙があった。



 僕はそっと響子の肩を抱いた。
 「あ、ご・・・ごめんなさいね。」
 彼女は、そう言いながら手で涙を拭った。

 風がやんだ。辺りを舞っていた花びら達は飛ぶのを止め、宙からゆっくりと地
上へと降りて行っている。それと同時に白い煙も穏やかに上の方へと流れている。

  僕は彼女の肩から手を離した。
 「もう済んだかい?」
 彼女は少しの間、黙った。春香は自分の小さな手でもって墓石をぺちぺちと軽
く、時に強く叩いている。小さく柔らかい手のひらと、大きく固い石とが生み出
す単純な音を楽しんでいるようだ。
 響子は僕の方を向いた。
 いつもの優しく、そして明るい笑顔に戻ったようだ。
 「そっか。」
 僕も笑顔で答えた。
 「それじゃあ・・・どうしようかな。」
 「え、何が?」
 「いやぁ、音無さん所に行こうかと思っていたんだけど・・・」
 「あ・・・それはいいわねぇ。しばらくお伺いしてないし・・・」
 響子はちょっとうつむいて考え込んだ。
 「でも、前もって連絡してないから、突然お邪魔しちゃうと悪いでしょ。」
 「う〜ん、やっぱりそうだよね。出かけて来る前に電話を入れときゃ良かった
 って、さっき思いだしたんだよ。」
 「私もすっかり忘れてたし・・・」
 「まぁ、歩きながら考えようか。」
 「そうね。」
 僕は墓石を見た。あらためて石に刻まれている字を一字一字、心の中で読んだ。
 (音、無、家、累、代、之、墓・・・か・・・)
 そのまま視線を下に移すと、ロウソクの火は二本とも消えていた。さっきの強
い風にあおられて消えたのだろう。線香は三分の一ぐらいが灰になっていた。灰
の白と線香の濃い緑との間に、まだ燃えている赤と焦げている黒があり、その境
目辺りから白い煙が空へと向かって立ち登っている。
   

#5 小説・めぞん一刻【桜樹】その2 著・宮武宏尚
#5/13 るーみっく☆ノベルス
★タイトル (RUMICSB2) 92/11/12 4:31 (249)
小説・めぞん一刻【桜樹】その2 著・宮武宏尚
★内容

 僕は立ち上がった。
 「それじゃ、戻ろうか。」
 「はい。」
 「春香。」
 石との対話を楽しんでいた春香が、僕の方を振り向いた。
 ふと気づき、春香の手のひらを手に取って見てみた。案の定、手のひらには細
かい砂がたくさん付いていて真っ白だった。
 「ほぉら、手が真っ白じゃないか。」
 僕はポケットのハンカチを取ろうと、上着の左ポケットに手を突っ込んだ。
 「あれ!?」
 今度は左ポケットへ。
 「あら?」
 ズボンの左後ろと右後ろ。左前、右前。
 「ありゃりゃ?」
 「はい、おててを拭きましょうね。」
 響子はすかさずハンドバックの中から白いガーゼのハンカチを取り出して、春
香の手を取り、優しく拭いた。
 「駄目なパパねー、春香ちゃん。忘れ物の癖、全っ然治らないのよぉ。いつも
 ママが口を酸っぱくして言ってるのにねぇ。」
 僕は言葉が無かった。
 「どうも、すみません・・・」
 「はい、きれいになった。」
 彼女はハンカチをハンドバックの中に戻し、立ち上がった。
 「さてと・・・」
 響子は前かがみになって、春香を抱き上げた。
 「さぁ、帰りましょ。」
 彼女はさっき来た道を歩き出した。
 「あ・・・はい。」
 僕は間の抜けた声で返事し、柄杓を入れた水の入ってない桶を持って、彼女の
後に付いて行った。

 水場で桶と柄杓を返し、再び桜並木を歩く。
 「ほらーぁ、綺麗でしょう。」
 「あ゛い゛。」
 「これはね、枝垂桜っていってねぇ・・・」
 僕のほんの少し前を歩いている母娘は、楽しそうに話している。僕はそんな光
景を夢で見たことがあった。デ・ジャ・ブ、既視感っていう意味だったかな、そ
んなもののようだ。今、眼の前でその夢がある。不思議なものだ。
 その母娘はこちらを振り向いた。
 響子が言った。


 お寺からの坂を下りきって、商店街の中を僕らは歩いていた。すると、響子は
思いだしたように言った。
 「やっぱり、お邪魔させてもらいましょうよ。」
 「へ?」
 「へっ、て・・・」
 「どこへ?」
 「だからぁ・・・音無のおとうさまのお宅によ。」
 「あ、あぁ・・・そうだね。寄らさせてもらおうか。」
 「ね。」
 春香は瞳を閉じて、響子の腕の中で眠っていた。

 商店街を抜ける所の四つ角を東に折れ、少しの間歩くと、都内にしては比較的
静かな住宅街があるに。そして、ちょっと中に入ったぐらいに音無家はある。

 僕らは玄関の前に立った。
 「誰か居てくれるかな・・・?」
 「まぁ、入ってみましょ。」
 僕は引戸に手を掛け、引いてみた。引戸は軽く開き、頭の方で呼び鈴がちりり
りんと鳴った。
 「あ、開いてた。」
 「ごめんください。」
 響子が、僕の横から顔を出して言った。
 返事が無い。
 僕は少し大きな声を出した。
 「ごめんくださーい。」
 「はーーい。」
 女性の声。
 「あぁ、いたいた。」
 スリッパの音が聞こえてきた。
 「はいはい・・・」
 「あら!?」
 「あ、五代のおにいちゃん。お久しぶりです。」
 玄関に向かって来ながら、言った。
 「まぁ、郁子ちゃん。」
 「わぁーー、響子おばさまも。いらっしゃいませぇ。」
 瞬間、間をおいて、
 「あぁ、春香ちゃん!?」
 「えぇ、でも今眠っているから・・・ね。」
 「あ、ごめんなさい。これね。」
 郁子ちゃんは右手の人差指を立てて口にあて、微笑んだ。






 また、スリッパの音が聞こえてきたので、廊下の方を見た。
 「おぉ、いらっしゃい。」
 音無のじいさんだ。
 「どうも、ごぶさたしてました。」
 「ごぶさたしてます・・・」
 響子は軽く会釈をした。
 「突然お邪魔して申し訳ありません。お彼岸で、お墓参りに出て来たもので・・・
   それで、お伺いしたのです。」
 「そうかそうか。」
 音無さんは笑いながらうなずいた。
 「まぁ、玄関先じゃなんだから上がんなさい。」
 「はい。」
 「お邪魔します。」
 僕らは靴を脱いで、上がらせてもらった。
 すると、郁子ちゃんはすかさず腰を下ろして靴の向きを変えて、揃えてくれた。
 「あぁ、ありがとう。」
 「いいええ。」
 「ずいぶんと気がつくようになったのねぇ。」
 「あー、おばさまったら。あたしもそれくらいの事は出来るんですよ。」
 郁子ちゃんはちょっと顔を膨らましたが、すぐ元に戻した。
 「でも、お客様が来た時だけね・・・」
 「そうだよな、郁子。お前、いつもは外から帰って来ると、靴なんか放り出し
  っぱなしだもんな。」
 「やーだぁ、おじいちゃんったら。」
 「あっはっはっは。」
 廊下を歩きながら、話していた。

 「まぁ、入った入った。」
 「失礼します。」
 僕らは和室に通された。
 ここの和室は主に客間として使われていて八畳と広く、床の間には高そうな掛
軸があり、座卓は漆塗でこれまた高そうな物だ。
 僕は大学時代、ずっと郁子ちゃんの家庭教師をしていてほぼ毎週この家に来て
いたのだが、それでも滅多に入ったことの無い部屋である。
 「ま、腰を下ろしなさい。」
 「はい。」
 僕は、僕らが来るのを予期していたかのように敷かれていた座布団に座った。
 隣にいた響子は座布団を横にずらし、自分は座らずに腕に抱いていた春香を起
こさないように、静かにその座布団の上に寝かせた。
 「郁子ちゃん。」
 「はい?」
 「悪いけど、毛布貸してくれない?」
 「あ、はいはい。今持って来るわね。」
 「ごめんね・・・」
 郁子ちゃんはパタパタとスリッパの音を残し、毛布を取りに行ってくれた。
 「赤ん坊ってのは、ちょっと見ない内に大きくなるもんだなぁ。」
 「はい、全くです。」
 「響子さんも大変だろう。」
 「大変は大変なんですけど・・・それ以上に楽しいです。それに、すぐ身近に
  専門家がいてくれてますから安心なんですよね。」
 「あ。」
 「そうかぁ。はっはっは。」
 音無さんは、眠っている春香に対して遠慮をしたのか、いつものようにではな
く控えめに笑った。
 「ははは・・・」
 僕も響子も控えめに笑った。

 「はい、持ってきたわよ。」
 「ありがとう。」
 郁子ちゃんはピンク色をした毛布を、そっと春香に掛けてくれた。
 じっと春香の顔を見ている郁子ちゃんにも、いつのまにか大人の雰囲気がして
いる。
 「春香ちゃん・・・ますます可愛くなったわね。」
 「そうでしょ。」
 僕と響子は口を揃えて言ったので、お互いに顔を見合わせてしまった。
 四人とも声を押さえて笑った。

 「そうそう、おねえさ・・・お母さんはどうしたの?」
 郁子ちゃんに向かって、響子が言った。
 「今日は友達と約束があるんだって。それで、お昼前にお墓参りを済ませたそ
  の足で、新宿へ行っちゃった。」
 「お父さんは。」
 今度は僕が聞いた。
 「また、一週間ほど出張だよ。なんでも福岡だといってたな、郁子。」
 「うん、あさって帰って来るんだって。・・・あ、お母さんがいないからあた
  しがしなきゃいけないんだ。今、お茶入れて来るわね。」
 「おかまいなく。」
 「あ、私がするわ。」
 「いいって、おばさまはお客様なんだから、座ってて。」
 「そう。じゃ、お願いね。」
 郁子ちゃんは和室の障子を閉め、台所へ行った。

 「じゃあ、仏様にお線香を上げさせて下さい。」
 「あぁ、どうぞ。」
 「どうも・・・」
 僕は立ち上がり、ふすまを開け隣の仏間に入り、そして仏前の座布団に座った。
響子も僕の後をついてきて、横に座った。
 小さい黒塗の卓の引出しから、一本線香を取り出し、既に灯されていたロウソ
クの火でもって線香に火を着け、香台にさした。そして、僕らは手を合わせ、眼
を閉じた。

 少しして眼を開けた僕は座布団の上で立ち、仏壇の上に掲げてある惣一郎さん
の写真をちらっと見てから、元の部屋に戻ったが、響子はまだ手を合わしている。
 数分してやっと眼を開け、立ち上がり、仏間のふすまを閉めてこちらに戻って
きた。そして、庭の方を見て言った。
 「あら、もう満開なのね。」
 僕は後ろを振り返った。
 「わぁー、見事だなぁ。」
 そんなに大きくはない桜の木だけど、枝先いっぱいに花が咲いているのでそれ
は見事なものだ。
 「あぁ、うちの桜は彼岸桜だからなぁ。それでも今年はいつもの年より咲くの
  が早いんだよ。」
 「そうなんですかぁ。」

  しばらく桜を見つめていた。すると音無さんがポツリと言った。
 「桜の、一斉に咲き吹雪のように散る美しさもあれば、気づかぬうちに訪れ、
  気づかれぬうちに去って行く、ひっそりとした露草のささやかな美しさもあ
  るんだよなぁ・・・。人間も同じ。生きようとする姿はすべて美しく、生き
  る姿はすべて貴い・・・か。」
 この言葉が、僕の心にずんと入ってきた。
 「そう・・・そうですよね。生きる姿はすべて貴い・・・」
 「はい、おまたせ。」
 郁子ちゃんがお茶を持ってきてくれた。


 小一時間いろいろと話していた。
 ふと柱時計を見ると四時を指そうとしていた。
 「あ、もうそろそろ・・・」
 僕は響子を見て行った。響子も柱時計をちらっとみた。
 「そうね、もうおいとまを・・・」
 「まだいいじゃないか。」
 「そうよ、来たばっかしじゃない。」
 「いいええ、突然お邪魔したのに、長居は・・・」
 「また今度お伺いさせてもらいます、前もって知らせておいてから。」
 「そうかい。」
 音無さんも郁子ちゃんも残念そうな顔をしてくれた。
 「また、来ます。」
 「それじゃあ・・・」
 僕らは立ち上がった。響子はすかさず春香を抱いている。
 「失礼します。」
 軽く会釈をして和室を出、玄関まで歩いて行きそして靴を履いた。
 「また来てね。」
 「ええ。」
 郁子ちゃんは寝ている春香の顔をのぞき込んで、軽く春香の頬に触れながら、
 「春香ちゃん、ばいばい。また来てね。」
 ささやくように言った。
 「それでは、お邪魔しました。」
 「いやいや、おかまいもせんで。」
 「失礼します。」
 「ばいばーい。」
 僕は引戸を開け、響子を先に外へ出してから僕が出た。そして、軽く会釈をし
てから戸を閉めた。


 太陽が西に傾いていて、やや冷たい風が吹いていた。
 「帰りましょ。」
 「うん。」
 「そうそう、駅前で買物につき合ってね。」
 「はいはい。」
 「夕飯のおかず、何にしようかなー・・・。」

 そうだ、今日から昼の時間の方が長くなるんだ。少しづつ、暖かくなっていく
んだなぁ。


 春の南風が、僕らの周りを駆け抜けて行った。


                              平成元年弥生

                          【桜樹】 − 了 −
   

#6 小説・めぞん一刻【書簡】 著・宮武宏尚
#6/13 るーみっく☆ノベルス
★タイトル (RUMICSB2) 92/11/12 4:35 (150)
小説・めぞん一刻【書簡】 著・宮武宏尚
★内容

【書簡】
                        連載小説「めぞん一刻」第四話

                        宮武 宏尚(PC-VAN ID:MGC5579


前略  五代春香 殿

 一歳の誕生日を迎えましたね。
 僕はあえて「おめでとう」と言わさせてもらいます。

 この一年間、僕は君の父親としては不肖な父でしたでしょうし、言葉通り東
奔西走しました。かけずり回って疲れることもありましたけど、この疲れは心
地の良いものでした。
 それは、君が僕のもっとも愛する人の一人であるため、かも知れません。


 一年前の事を、君は覚えているでしょうか?もちろん、覚えているわけはな
いと思いますが、今日はちょうど一つの節目であるようなものなので、僕は振
り返ってみようと思います。

 あれは、桜が満開になろうとしていた頃でした。
 君はまだ、五代響子という女性のお腹の中にいました。そうですね、生命は
授かっているけど、人としては認められていない時です。

 その頃、五代響子さん−−お母さんと呼びましょうか−−は、君が人として
認められるための、重大で神聖な仕事に控えて、ここ一刻館からは、ちょっと
離れた”時計坂総合病院”という病院に入院していました。

 僕はといえば、仕事で”椎の実保育園”という所にいました。

 お母さんはベッドの上で体を起こし、編物をしている時だったそうです。突
然、激しい腹痛に襲われました。ちょっと難しい言葉で表わすと、「陣痛」と
言います。
 この痛みは、計り知れないものだそうです。

 お母さんは、即、急を聞いて駆けつけてきた看護婦さん達にベッドごと、あ
る部−−分娩室です−−に連れて行かれました。
 そしてお母さんは、君を人とさせるための、辛く、苦しく、血と、汗と、涙
の仕事に入ったのです。

 この時、僕はその場に居合わせていませんでした。
 最近は、ラマーズ法とか言う、母親のぞばに父親が一緒にそばにいてあげる
方法があるのですが、僕はあえてその方法を取りませんでした。
 なぜなら、お母さんの仕事場に居会わせる、というのには、分不相応のよう
な気がしたからなのです。
 子供を産む、というのは、女性の最も大切で大きな仕事である、と僕は思っ
ているのです。分娩室と言うのはその仕事をする場所ですので、聖域でもある
と考えるのです。そんな聖域に僕が居れるわけがありません。

 話を戻しましょう。

 君はなかなか産まれてきませんでした。
 お母さんの歳が、初産としてはほんの少しではですが高かったためかも知れ
 ワせん。
 お母さんは苦しんだそうです。泣いたそうです。叫んだそうです。
 その苦しみに耐えて耐えて耐え抜いて、君をこの世に存在させたのです。

 安産ではなかったそうです。

 君はこの世に生まれでて、ほんのしばらくしてから元気な声で泣きましたね。
 お母さんは、その声を一生忘れないと言っていました。

 君はその時、「人」となりました。


 僕が君と初めて会ったのは、病院の新生児室という一室の中でしたね。
 僕は看護婦さんに白衣を借りて着、君に会いました。
 僕はその時、
 「おめでとう。」
 それから
 「ごめんなさいね。」
 と言いました。

 君の選べなかった物が、五つありました。
 ひとつは、時代です。君は昭和六十三年に生まれました。
 ひとつは、国です。君は日本という四方を海に囲まれたちっぽけな島国に、
日本人として生まれたのです。
 ひとつは、名前です。君は「春香」という名前です。
 ひとつは、住んでいる所です。君は東京の練馬区の、一刻館という古ぼけた
アパートに住んでいます。
 最後に親です。君は五代裕作の長女として生まれたのです。

 どれひとつとも、君の意に反するものかも知れないでしょう。けどそれは、
仕方の無いことでもあるのです。これらは諦めて下さい。

 「ごめんなさいね。」と言ったのは、”生まれた以上、死ぬまで生きること
ができるが、生き続けることはない”悲しみに対してだったのです。

 世の中は楽しいことより、苦しいことばかりです。
 愛する人と、別れなければならないでしょう。
 憎む人と、出会わなければいけないでしょう。
 求めているものが、必ずしも手にはいる訳ではないでしょう。
 人間としての生理に、苦しまなければならないでしょう。
 その中で、生きて、老いて、苦しんでいかなければならないのです。

 しかし、そんな生命として、あえて君は生まれたのです。

 君の人生がどうなるのか、君にも僕にも分からないでしょう。
 けど、その人生は君が作っていくのです。


 僕は君に望むことが、二つあります。

 ひとつは、健康でいてください。
 この健康は身体ももちろんですが、心も健康でいてください。

 もうひとつは、人の憂いが分かるような人になって下さい。
 人の憂いが分かるようになれたら、君はどの人に対してでも「優しく」なれ
るでしょう。
 そう、春の香りは、人を優しくつつみ、心も優しくつつみ、その人を優しく
させてくれます。
 そんな願いをも込めて、僕は君を”春香”という名前にしたのです。


 君は一歳を迎えたわけですが、これからはだんだんと、時の流れが早くなっ
ていくでしょう。
 生まれた時から一歳になるまでの時間を一とすると、二歳になるまでの一年
間は、一歳になるまでの半分ぐらいに感じるようになるそうです。
 君が大人になる歳には、今までの時間の二十分の一ぐらいにしか、感じなく
なるでしょう。
 さらに、君が大人になる時は、もう二十一世紀になっています。その頃には
いま、君が持っている”可能性”というものを、存分に発揮していることだと
思います。


 生きていくのは楽しいです。辛いけど、楽しいです。明日何があるかわから
ないぐらい、楽しいことはないですよ。
 生きていくというのは、電車の直角座席に、進行方向の反対側を向いて座っ
ているような物なのです。


 そういえば、君が生まれた時、君に与えた、大きな大きな白いキャンバスは
しっかりと持っていますか?
 うん、持っているようですね。
 今はまだ、ほんの少ししか描いていないけど、これからはもっともっと、も
っともっと君の力だけで、君だけの自由な絵を描いて下さい。
 僕と君のお母さんは、いっさい君に手助けはしません。
 しかし、君がその絵を描くのに、心から、心の奥底からそれこそ一生懸命に
応援をし続けます。
 これは約束をします。絶対に守ります。
 大きな君だけの絵を描いて下さい。


 おめでとう。


 がんばれ。

                                 敬具
   

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